Column & Diary

[代表雑記 040] 2018年のはじまりにあたって

2018年1月1日

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2018年がスタートした。
コピーライターとして独立して19年。ナイスキャッチを始めてから12年になることになる。
年によっていい時もあれば、悪い時もある。
近年は、いい時と悪い時が短期間で繰り返されるという感じだろうか。
いいことばかりが続くわけではないが、悪いことばかりも続かない。
結局、ぼちぼちというやつなのかもしれない。

あくまで自分の場合という話だが、
最近のコピーライターの仕事は、制作物の「構成」を考える部分が大きくなってきたように思う。
「言葉」を考えるということは、「意味」を考えるということで、
意味を考えるにはその「順番」も重要になる。それがつまり「構成」を考えるということだ。
もちろん、この作業は以前からコピーライターが担うことが多かったが、
最近はこれが、自分のメイン業務のように感じることさえある。
さらにいえば、構成を考えた後の「表現」の部分は、
相対的に扱いが軽くなってきたような気もする。

自分自身の考え方も影響しているかもしれない。
構成を考え出すと、なるべく違和感のない「正しさ」を追い求めるようになる。
正しいことは基本であるし、とても重要だ。
でもそれが、「楽しい」や「おもしろい」や「美しい」とは限らない。
正しいのは当たり前。そのうえで、楽しく、おもしろく、美しい仕上がりにしなければ、
表現としての価値は半減してしまう。

でも、と思う。
制作物として構成がしっかりしていないのに、
楽しそうとか、おもしろそうとか、美しい印象とかうわべだけを追求してもしょうがないのではないか。
基礎となる構成の部分に力を注いでおかないと、全体の完成度を上げることはできない。
それをやるのは、やっぱりコピーライターの役割なのだ。

と、少々熱くなってしまったが、僕の中にはそういう考え方が強くある。
でもそれも、そこにとらわれすぎると、やっぱりダメなのだ。
「正しい」だけではつまらないし、「楽しい」だけではもろい。
「正しくて楽しい」。そこを基準にしないと、いい表現は完成しない。
最近は「正しい」ばかりで、「楽しい」を後回しにしてきたのではと、少し反省する。

ここ数年の“ぼちぼち”も、そういう考え方が作用していたのかもしれない。
かつてやれていたはずの「楽しい」の部分を取り戻し、
あらためて「正しくて楽しい」コピーライティングを目指していこう。
そんな目標を掲げてみようと思う、2018年のはじまりなのでした。
それではみなさま、今年もよろしくお願いいたします。