コピーライターを生業とし、ほぼ隔日のコラムをしたため続けている僕ですが、
じつのところ、書くことはあまり好きではない。
そもそもコピーライターになったのも、
「広告をつくる人」になりたいというのが先にあって、
デザイン系の学校を出たわけでもないからデザイナーは無理だろう
ということでコピーライターになったのだ。
そういうわけなので、よりよい広告表現のために、
仕事として文章を書いているという感覚が強い。
だから、ごくまれに「好きなように書いてください」というような
オーダーがくると本当に困ってしまう。
広告表現の文章には、いろんな制約がある。
何を、どのように、どれくらいの分量で語るか。
クライアントの要望はあるが、その適切な答えは自分で考えなくてはならない。
いろんな条件をクリアしつつ、いい文章ができたときの達成感は格別だ。
これこそが、広告表現の醍醐味だと考えている。
そういう意味でいうと、「自由に書いていい表現」にはあまり興味を引かれない。
興味が引かれないというか、自由に書くほうが難しいはずなのだ。
何を書くかを自分で決めて、その内容がつまらないのは、そうとう最悪ではないか。
とはいえ、自分で何を書くかを決めて書いている
このコラムがおもしろいかどうかという問題もあるので、これ以上何も言うまい。
はて、なんの話をしようと思ったんだっけか?
とにかく、制約なしの文章を書きたいという欲は、僕にはない。
制約のある状況下で、いかにいい表現を生み出すか。
奔放な自由演技というより、クオリティの高い規定演技。
それが僕にとってのクリエイティブの前提になっているのだ。
[代表雑記 089] 規定演技と自由演技
2018年4月25日