Column & Diary

[代表雑記 045] 猫に対する母親の基準

2018年1月12日

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うちの実家には猫がいる。
基本的には野良猫なのだが、母親が庭でエサをやっているうちになついてしまい、
とうとう家に上がりこんでしまったのだ。

とはいえ、母親はどんな猫でも家に上げてしまうわけではない。
そこには母親なりの基準があり、容姿や賢さ、愛嬌など、
さまざまな条件をクリアした猫だけが、家に上がることを許される。
家に上がれば、エサはいつでも食べ放題。暖房の効いた室内で、のんびりと寝て過ごせる。
まさに、野良猫界のサクセスストーリーである。

そんな成り上がった成功猫をうらめしそうに見つめながら、
庭をうろつく野良猫たちもいる。そんな猫たちにも、母親はそれなりの施しを与える。
また、仲間同士の争いでもあったのだろうか、
血だらけになって庭でうずくまっている野良猫を見つけたときも、
当然のように動物病院に連れて行き、手術を受けさせ、入院させた。
しかし、退院してもその猫を家に上げたりはしない。母親の基準は厳格なのだ。
そしてこうつぶやく。「私にできることは、これまで」
母親の基準がさっぱりわからない。
しかしながら、近所の野良猫界では、母親の存在は知れわたっているのではないか。
何かあったとしても、あの家までたどり着けば、どうにかなると。

現在は4匹と書いたが、つい最近までは5匹だった。
いなくなった1匹はかなり高齢で、エサもあまり食べなくなっていた。
そしてその猫は、夜になると外に出て行き、明け方に帰って来るようになった。
母親が言うには、猫は死に目を人間に見せないから、毎晩、死に場所を探しに行っているんだと。
そして、朝になっても死ななかったら、少しバツが悪そうにして帰ってくると。
実際、何匹か年老いた猫がいなくなったことがある。
おそらく死んでしまったのだろうが、どの猫も母親には死に目を見せていなかった。

そして、ある日の明け方近く。
母親が目を覚ますと、先ほどの高齢の猫がいて、こちらを見ていたらしい。
ああ、帰って来たんだ、と起き上がって電気をつけると、その猫の姿は見えなくなった。
その日、猫は戻ってこなかった。

最後に姿を見せてくれたからすっきりした、と母親は言った。
以前、猫がいなくなったときは、しばらく近くを探しまわったりしていたのだ。
だったらもう外に出さず、完全に家の猫にすればいいのに、と言っても、それは違うらしい。
母親の基準がさっぱりわからない。

そんな、いろんな猫たちに手を焼きながら、母親は今日も暮らしていることだろう。