世の中には天才と呼ばれる人がいる。
テレビや本、ネットを通して、僕も心から敬服してしまうような人をしばしば見かける。
しかし、自分の現実世界に立ち戻ると、
いわゆるメディアを通して感じるような“天才”と思える人にはなかなかめぐりあわない。
そりゃ、そうだろうと思う。
なかなか現れない天賦の才能の持ち主が、天才なんだろうから。
もし、自分のまわりに天才がいたとしたら、僕はどういうことをするだろうか。
まずは、近くで観察したいと思うだろう。
そのために、嫌われない程度に、気さくに少しなれなれしく近づくかもしれない。
ああ、この時点でもう嫌われそうだ。
何かをつくる、表現する、やりとげるといった際、
まず、何をすればいいかを考えて、それをするために必要なものを整理して、
それを自分なりに解釈して、最終的なカタチとして仕上げる。
ふつうは、こういうプロセスを経ることになると思う。
僕が思う天才にもいろいろあって、
最初の「何をすればいいか」と最後の「最終的なカタチとして仕上げる」の部分に
まったくつながりが感じられないけれど、結果的にすごいものを生み出す
というタイプの天才にはあまり興味を抱かない。
それよりも、最初と最後がしっかりつながっていて、
しかも最初からは想像できないほどすごいものを生み出すタイプの天才のほうに、
より賛辞を送りたいと思ってしまう。
必要なポイントを踏まえたうえで、それをどう解釈し、どう仕上げるか。
そこの、質とセンスに、僕は酔いしれたいのだ。
僕の近くに天才がいたら、そのプロセスを共有してみたい。
そして、天才と呼ばれるゆえんの一端でも感じることができたら、
どんなにワクワクするだろうかと思う。
たぶんそれが、いまの自分がいちばん欲しているものなんでしょうね。
[代表雑記 092] 天才の質とセンス
2018年5月2日