Column & Diary

[代表雑記 002] コラム&ダイアリーをはじめ直すにあたって

2017年9月27日

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「それではコラム&ダイアリー、スタートです!」と、前回宣言してから1年余りが過ぎた。
その間、まったく投稿なし。放置にもほどがある。
“書くのは苦手だけどがんばります”的な文章をしたためておきながらの、この体たらく。
結局、書くのが苦手なことを見事に証明してしまっただけではないのか?

理由はいろいろとある。まあ、早い話が面倒くさかったわけだ。
もう少し丁寧にいうと、コラムを書くという面倒なことを引き受ける
覚悟も体制もできていなかったのだ。
日々の仕事もあるし、遊びの約束もあるし、なじみの店に飲みにも行きたい。
そんな毎日のなかで、コラムを書くという行為が入りこむ余地などあるはずもなかった。
(いい歳した大人で、しかも文筆業を営んでいる人間のいうセリフじゃないですね)
とはいえ、完全に忘却の彼方に追いやっていたわけでもない。
見て見ぬふりして先送りしている夏休みの宿題のように、
いつかどこかで手をつけなくてはならないと、ずっと頭の片隅では考えていた。

では、なぜこのタイミングで再開しようと思ったのか?

じつは近ごろ、作業場のレイアウト変更にともない、
資料やら何やらを整理しなければならなくなった。これもまた“面倒くさい”案件である。
しかし今回は、資料を収納するスペースに限りがあるため、
見て見ぬふりして先送りするわけにもいかず、時間のある時にせっせと片づけに勤しんでいた。
すると、である。
今日の分の資料整理のノルマを終わらせるため、仕事の優先度や時間配分を考えたりしながら、
いつの間にかその日の作業を計画的に進めるようになってきたのだ。
とくに驚くようなことでもない。普通に働いている人には当たり前のことだろう。
でも、普通じゃない働き方が許されてきたフリーランスとっては、とても新鮮な感覚だった。
自分の計画通りに一日の作業が終わることが、とても気持ちよかった。
(ホント、いい歳した大人のいうセリフじゃないですね)

そして、こんなことを感じ始めていた。

“自分をコントロールできている感覚をつかめている状態”こそが、
面倒なことを引き受ける覚悟や体制ができているということなのではないか?

実際にコントロールできているかは、この際さほど問題ではない。
そういう感覚がある時は、自分に対して余裕や自信が生まれ、
何ごとにも前向きに取り組めるように思える。
つまり、この感覚があるうちは、コラムを書けそうな気がしたのだ。

長々と書いてしまったが、ようは「またがんばります!」ということです。

さて、次回の投稿はどうなるやら。今度こそ本当に、がんばります。