Column & Diary

[代表雑記 042] こいつは春から縁起がいい

2018年1月5日

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初詣の参拝客でごった返しだろうと、覚悟を決めて出かけた太宰府天満宮。
意外とそこまで多いという感じでもなかった。
多いときは、本殿に連なる楼門をくぐる手前の太鼓橋から行列ができて、
ちょっと前進するにもかなり時間がかかったりするが、
今日は立ち止まることなく、本殿に設えられた横広い賽銭箱までたどり着くことができた。
使わずに取っておいた5円玉を投げ、今年一年の家内安全と商業繁盛を祈願する。

ちなみに僕は、お賽銭といえば5円(ご縁)派なのだが、
それだと最近では「セコイ」という思われる見方もあるようだ。
お賽銭はご祝儀ではないのだから、金額の多寡は関係ないだろうと思うが、
願い事というオーダーに対するギャランティは、
神様だって高いほうがモチベーションが上がるはずだということかもしれない。
そのあたりの心理は僕もよくわかる。わかるどころか切実な問題である。
しかしながら、ちゃんとお金を払って裏切られる切なさは、サッカーくじだけで十分だ。
5円を払って、いいご縁のリターンを祈る。

参拝後のちょっとしたお楽しみが、おみくじだ。
とはいえ、その中身に一喜一憂するということでもなく、
参拝の様式美としていちおう試してみるかといった程度のこと。
ついでにという感じで引いてみた。

「大吉」が出た。思わず笑みがこぼれた。番号は末広がりの「八番」。
願望は「すべて叶う。控えめにせよ」などと、ちょっとたしなめられるぐらいの言われようだ。
こういうのは信じてもいいのではないか。信じられるものがある人間は幸せなのだ。
こいつは春から縁起がいい!

以前は神様にお参りするときは、「がんばりますから見守ってください」的な
自力で何とかするのを前提としたお願いの仕方をしていた。
しかし最近は、自力というのも底が知れてきて、
思いっきり他力本願に走るようになってきたように思う。
それだけ、いろんなものがせっぱつまってきたという考え方もあるが、
以前よりも自分の力を過信しなくなってきたということもあるかもしれない。

自分の力が足りないことはわかってきました。
でも、もっとこういうことがしたいのです。神様、力をお貸しください。

神様の前では、かっこつけずに、すがるように祈ったほうが、
親身になって聞き入れてくれるのではないか。たとえ、5円のお賽銭しか払わぬ者にも。

というわけで、先日、福岡から戻ってまいりました。
本日1月5日より、ナイスキャッチ、通常営業のスタートです!
みなさま、今年もよろしくお願いいたします。