あわただしい年の瀬に、毎年さらなるあわただしさをプラスオンしてくるものがある。
年末進行の制作スケジュールに、いくつかの忘年会の予定をねじこみ、
さらに体力回復のために必要な、自分が使い物にならなくなる時間を考慮したうえで、
アイデア出しと、DTP作業と、宛名書きの労力を確保しなければならないもの。
そう、年賀状である。
我がナイスキャッチは、これまでずっと紙の年賀状を制作してきた。
今なら、画像データをメールで送るという方法もあるだろうし、
いっそのこと、年賀状のやり取りはしない、という選択肢もあるだろう。
そのほうが、時間的にも、精神的にも、もちろん経済的にも、
年末の自分にとっては、ありがたい判断であることは間違いない。
でも、やっぱり年賀状をつくりたいと思う。なぜか?
それが、全部自分だけの判断でつくれる数少ないクリエイティブだからだ。
ふだんの仕事は、当然ながら、いろんな関係者の意向のもとに、
ある方向を目指して形づくられていく。
いろんな意見を束ねて、もっとも魅力的で価値ある答えを導き、カタチにしていく。
それが、広告という仕事の醍醐味だと思う。
だから、基本的には自分の考えというのは、全体をつくるための一部でいいと考えている。
自分のなかの正解はもちろん持っているが、それが全体としての正解とは限らない。
そこは、しっかりと見極められる者でいたいと思う。
と、話がちょっと回りくどくなったが、
ようは、まわりに気をつかうことなく、自分一人だけで好きにモノをつくって、
それを発表する機会として、年賀状をとらえているというわけです。
年に一回のナイスキャッチのプロモーション活動って感じでしょうか。
だから、できるかぎり自分が本来やりたいような表現をカタチにしたいし、
それがうまくいくときもあれば、空振りしてしまうときもある。
はい、今、ウソつきました。うまくいったと思える年は、1、2回しかありません。
でも、そんなふうに悩みながら、時間に追われながら、七転八倒して作業することを含めて、
この時だけは、かつて思い描いていた理想の“モノをつくる人間”でいたいと思うのです。
というわけで、年内に投函できるように、これから宛名書きです。
これも年賀状づくりの大事な工程です。
多くの人に出せる年はうれしいんですが、ホント、指が疲れます。
[代表雑記 037] あわただしさのプラスオン
2017年12月25日