なぜか引きずっています。『この世界の片隅に』。
結局、一週間で5回もDVDを観てしまった。
ということで、いまだに胸に湧いてくるこのなんともいえない思いを、
前回に引き続き、語ってみようと思う。
この映画の核となっているのは、主人公すずさんの日常を生きる姿だ。
そこには、絵を描くことが純粋に好きな様子だったり、
やるべきことを人から言わなくても自分からきちんとやる姿だったり、
今あるものを大切に使って丁寧に暮らす様だったり、
そんな、すずさんの当たり前の毎日が淡々と描かれている。
そしてそこには、無垢だからこそ生まれるユーモアがあり、
純粋だからこそ生まれる当然の喜怒哀楽がある。
思うに、このすずさんの気持ちは、戦争が始まっても変わらないのだ。
変わらないからこそ、まわりの状況が変わっていくことが余計に怖く感じるし、
その怖さを感じるからこそ、すずさんの変わらない姿が愛おしく思える。
とはいえ、何も変わらないわけではない。
戦況の変化とともに、すずさん自身も少しずつ変わらずを得ないようになる。
悲しむ。呆然とする。葛藤する。その思いは、僕たちにも同じように、胸に刺さる。
自分らしく生きられないという状況は、なにも戦争だけに限ったことじゃない。
なにも決められたことを破ろうと思っているわけではない。
他人に迷惑をかけるようなことまでするつもりはない。
自分の世界のなかで、自分らしくありたいと思う。ただそれだけのこと。
それでもまわりの状況は、自分らしくあることを、過剰に抑えつけようとすることがある。
そんなやるせない気持ちを、すずさんの姿を通して、自分自身が実感する。
この映画の全体を包んでいるのは、優しさや笑顔だと思う。
もっといえば、ユーモアや本音かもしれない。
それが、戦争という時代で正気を保って普通に生きていくために必要なこと。
そういうメッセージも、物語のなかで描かれる。
ある時、絵を描いていたすずさんが憲兵にとがめられる。
憲兵が立ち去ると、家族は大きな笑いで包まれる。
「不謹慎」対「ユーモア」だと思った。
あの時だって、ついこの間だって、そうだった。
こうしている今だって、「憲兵」は世の中に不謹慎がないか、目を光らせている。
あの憲兵のシーンを観て笑った人のなかにも、
違う場所では自ら憲兵みたいなことをやっている人がいるかもしれない。
そんな世界に、僕たちも生きている。
「不寛容」や「不謹慎」、「自分らしさ」や「ユーモア」。
大きくいうと、表現することにつきまとう、ここ最近のやっかいな風潮。
そんな世界の片隅で、どんなふうに生きていくのが、自分にとっていいことなのか?
はからずも、そんなことに思いをめぐらせてしまった。
とまあ、この映画は自分のバイブル的な作品になりそうな予感がビンビンです。
すずさんのように毎日を丁寧に生きるって、やってみたいけど、なかなかできないんですよね。
そんな生き方が自然にできている人って素敵だし、本当に強いなって思います。
[映画感想文 002] 『この世界の片隅に』その2
2017年12月1日