昔から、なにかモノをつくるのが好きだった。
小学生の頃は、プラモデルに夢中だった。
タミヤの戦争モノやラジコンカー、ガンプラもやった。
いったんつくり始めると、食事も摂らずにひたすら没頭した。
プラモデルがつくりたくて学校をサボることもあった。
接着剤の匂いで頭痛がするとか適当なことを言って、
母親に休みの電話をかけてもらった。
バレバレだが、プラモデルに関しては一度つくりだすと
何があってもやめようとしない性格だったので、
母親もあきらめ半分だったのだろう。
プラモ熱はその後、あっけなくおさまりを見せた。
理由は「完成度」の問題だったように思う。
例えば、『ホビージャパン』というプラモデルの専門誌には、
そこには、まさに神業のようなテクニックで仕上げられた
プラモの完成品の数々が紹介されていた。
毎回、すごい!と思いながらページをめくっていたが、
こういうふうにつくりたいとは思わなかった。
パーツを張り合わせ、つなぎ目にパテを塗りこみ、乾いたら紙ヤスリで削る。
それぐらいは自分でもやっていたが、けっこうめんどうにも感じていた。
スプレーガンで塗装もやったりしたが、これもなかなかに難しい。
そんなこんなで、だんだんプラモデルを完成させることが苦痛になってきて、
いつしかつくるのをやめてしまったのだ。
べつにそこまで本格的に取り組まなくても、
自分が楽しめる範囲内でつくり続ければいいのではという考えもあるだろう。
でも、なぜかそうは思わなかった。
たぶん、雑誌などを見て自分のなかの「プラモデルのあるべき完成度」というものが、
自分の能力以上に上がってしまったんだと思う。
このレベルまでつくれないんなら、最初からつくらない。そんな気持ち。
そういう考え方は、いまの自分にもどこかにあるような気がする。
あきらめなのか。見極めなのか。けっして悪いことではないと思うけど、
なにかのストッパーになっているのかもとも思う。
できないというのが、嫌いなのかもしれない。負けず嫌いってことなのか?
べつに勝ち負けの話じゃないのに、できないと負けたような気も、確かにする。
先日、テレビでタミヤの会社が出てきたので、
ちょっと懐かしくなって、いろいろ思い出してみました。
いまでもプラモデルのことは大好きだけど、
つくってみようという気には、うーん、ならないかな。
[代表雑記 086] プラモデルの完成度
2018年4月18日